
あまえび
あまえびを買った。 常温が美味しい。

あまえびを買った。 常温が美味しい。

ars longa, vita brevis. これは英語ではこうなる Art is long, life is short. 「アート(芸術作品)は作者の死後も残る。それに比べて人の一生は短い」みたいな感じだが、そうではない。 「技術(技)の習得には時間がかかる。それに比べて人生は短い」みたいな意味だ。 arsはリベラルアーツ(liberal arts)ラテン語ではartes libereles のars(複数形がartes)で、 英語のartとかartificialの語源。artificialとの関連でわかるように、「芸術」より意味は広い。 ars longa, vita brevis.は、もともとヒポクラテスの箴言のラテン語訳。 セネカの「人生の短さについて」(De brevitate vitae)で引用されている。 arsはヒポクラテスるの書いたギリシャ語ではτέχνη(techne)。英語のtechnicとかtechnologyの語源。 ヒポクラテスの文脈では、医術は一生かかっても極めるのは難しいという感じになり、よく知られた「少年老い易く学成り難し」が近い。 さて、わたしもこれらの格言の通り、人生は短いと思っていたが、10年くらい前からそうでもないと感じてきた。 60代で定年退職して引退し、悠々自適な余生という時代は終わった。 今は70代の人も引退せずかなり元気に現役世代のように働いている(これが良いことかどうかは別だが)。 若い頃から一定のジャンルのたくさんのことを学んできたが、それだけでは長い人生を生ききれない感じがしていた。 つまり、全く別のジャンルのことを40代、50代で一から、かなりの強度で新たに学ぶ必要があると感じていた。 何かを初めようと思って、一歩を踏み出した。

今回こそ続くように、気楽に思いついたことをつらつらと書くことを心がけよう。 このときの投稿。このときは散らかっていたブログやSNSの投稿をここに集めたときだった。このときにこう書いた。 最近は読書日記か料理ばかりだったが、原点にかえる。 今日は反省というか、心のありようについて。 特定の人物に言及するつもりはないが、心が何かに強く固執したり、乱れたりするのは、その人にとってかけがえのない他者についてであることが多いのは一般論だ。 反省という言葉では表現できないくらい、ここ数日、心が乱れた。 20年くらい、時間が巻き戻ったかと思うような不思議が感覚もあった。 正直言うと今もつらい。 これじゃあ、重すぎるか。 こういうのが原因なのだとわかっているが、なぜか避けられない。 この件については、これ以上語らない。
なぜか短編小説が苦手だ。 なぜか長い小説が好き。 短編小説は、物語の世界に入っていくかいかないかのうちに終わってしまう感じになることが多いし、面白いものだともっと続いてほしいと思ってしまう。 わたしの理解が少し遅いせいで、たくさんの描写を読まないとなかなか物語の世界に入れないというのが理由だと思う。 それでも最近、2人の作家の短編小説を読んだ。 1冊は、カナダの短編の名手と呼ばれるノーベル賞作家、アリス・マンローの「イラクサ」。 もう1冊は、インド系アメリカ人のジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」。 いずれも女性作家だ。 物語は面白いが、やはり今ひとつ物語の世界に入れないのは変わらない。また、これも男性であるわたし固有の問題だと思うが、生物としての女性特有の話が語られる部分について、共感できないというかなかなか話についていけず、置いていかれた感じになってしまう。 カナダを舞台にした本を読んだことがなかったので、カナダの生活の細部を見られて少し新鮮だった。 あと、ラヒリの方は、登場人物の名前から性別が思い浮かばず、まずそこから躓く。でも話は面白い。 いずれも普通におすすめできる素晴らしい本なので、ぜひどうぞ。
地方の雪国で、部数1万部、週3回発行の地域紙が舞台。 わたしがずっと働いてきた職場と全く同じでびっくり。 全国紙や週刊誌の書評に取り上げられ、評価も高い本だ。新聞業界というか、斜陽産業となった今の新聞記者の心理が丁寧に描かれていて、さらにストーリーも面白い。テーマもいい。 ただ、わたしの身の回りの環境とそっくり過ぎて、普通の人が読めば面白いと思うようなこの業界特有のディテールが、当たり前に感じられてしまい、半分を過ぎるまで面白さがわからなかった。 「ニュースが消える日」(講談社)堂場 瞬一 雑誌連載とかではなく、描き下ろしなので、読みやすくテンポよく進む。普通におすすめできる面白い本です。
本当に気が滅入ることが続き過ぎ。 連日、法曹の方々にお願いすべき案件に苛まれている。 実際にお願いしている案件がすでに結構な数があり、これからのものも複数同時進行で、気が滅入る。 そこで気分転換をしようと考えた。 気分転換には、好きなジャンルの小説や詩を読むか、あるいはまったく知らないジャンルの小説か詩を読むのが一番いい。 なんていうか、詩を含めて、いわゆるものがたり的なものには、実にさまざまな効用がある。 日曜の夕方になって古本屋に行ったら、ブッツァーティの「タタール人の砂漠」が売っていた。でも、あまり安くなくて(と言っても100円、200円の世界)、買おうかどうかまよいにまよって結局、何も買わず出てきた。 これでは、だめだ。明日は月曜。精神をリフレッシュするのは今夜しかない。 結局、普通の書店に行った。 いろいろあったが、冒頭の写真にある3冊を購入した。 どの著者も初めてだ。 意味不明なチョイスだと感じるかもしれないが、人間の心、精神なんてこんな具合に意味不明だ。 ちなみに、上の3つは無料(実はこういのを隅から隅まで読むのも大好きだ)。 評論は後日。 乞うご期待。 ...
(いつもSNSに文句ばかり書いているので、たまにはいい話) 長男が今春就職して、初任給でプレゼントを送ってくれた。 バカラのグラス2つ。 なかなかセンスがいい。 母の日に合わせて送ってきた。 日曜の夕方、食事をしながらスパークリングワインを飲んでいるときに届いたので、早速ワインを入れて味わってみた。 バカラのグラスは見た目もいいのだが、それより何より口当たりが素晴らしい。実は、贅沢なシングルモルトウイスキーを飲むとき専用にバカラグラスを一つだけ持っているが、割れたら困るのでめったに使わない。これも実は自分で買ったものではなく、わたしの父からもらったものだ。 使ったら他の食器とは別に洗って、水を切り拭いて、赤い箱にしまっておく。 持ってみるとわかるが、繊細に扱わないと壊れそうな雰囲気がまたいい。 例えば金属製のタンブラーといった一生使えそうなものもいいが、こうした儚く壊れそうなものもまたプレゼントにはいい。
村上春樹の「街とその不確かな壁」(新潮社)を読んだ。 出版された2023年3月、すぐに購入して読み始めたら、なんだか昔読んだ「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」にそっくりな感じがして、つまらなくてやめてしまった。 2年以上経ったこのゴールデンウィーク、なんとなく暇というか、気の滅入ることが続いていたので気分転換にと最初から読み始めたら、面白かった。 いつも通り、心の奥、物語がテーマだが、なるほど70歳を超えて書く内容だと思った。 心の奥と物語。 本物と影。移ろいゆく心。どちらがどちらか分からない状態。現実と心の中が交錯する。交錯するというかどちらも現実。 ちょっと荒唐無稽かもしれないが、わたしはプラトン「国家」に出てくる洞窟の比喩みたいだという感想を抱いた。 そう、昨年読んだ「新版 プラトン 理想国の現在」納富信留(ちくま学芸文庫)がすごく面白かったからかも。タイトルの「理想国」というのは、国家つまりポリテイアのこと。 さらに、心については「生成と消滅の精神史」下西風澄(文藝春秋)をもう一度読み直そうという気持ちになった。 この本は、わたしがここ3年で読んだ中で、だんとつで一番面白い本だ。 当時の新聞の書評(多分新潟日報だったと思う) 「書評でこんなことを書くのは初めてだし、全く芸のない話だが、この本は、とてつもなく面白かった。ご一読を」 書評委員がこう評していて、本当に身も蓋もない話ではあるが、読んでみると本当にそれくらい面白い。 これを読み直す前に、数年前から積ん読状態になっていた、「アウグスティヌス『心』の哲学者」出村和彦(岩波新書)という新書本を読み始めた。心の奥。アウグスティヌスはわたしの卒論なのでおなじみの話で親しみやすい内容だが、卒論を書いてからちょうど30年経っているので、なんだか新鮮な感じもする。 新しいローマ教皇がO.S.A.(聖アウグスチノ修道会 Ordo Sancti Augustini)だったこともあって、あらためて読んで見ようと思った。 ...

駐車場を借りようとかなり調べて不動産会社に連絡したら、あまりに対応が悪すぎて初めてGoogleの口コミを書いた。次の通り。駐車場を借りようと、先週土曜にこちらから物件を指定して電話して問い合わせた。空きがあるということなので契約を進めようと思った。店は開いているので「今日うかがいます」と提案したが、「だめだ」という。「翌日の日曜の16時半に来い」と指定してきた。 なんだこれと思ったが、やむを得ず従った。 翌日曜に訪問した。そこでやったのは申込書みたいものを書かされただけ。これならメールで送ってもらえば済んだ。物件について質問してもそもそも調べてもいない。だから具体的な答えがない。そして後日、契約にもう一度来いという。これでは何しに行ったのか分からない(この時点で仲介手数料の金額の説明すらない)。そして、木曜の午後に電話が来る。やっと契約だという。この時点で初めて手数料などの説明と物件の除雪状態などについての説明とも言えない説明があったが、要領を得ないし、土曜に質問したことへの答えもない。契約を渡されて「書いてこい」と。さらにこの日は木曜なのに、土曜までに金を振り込めと。「振り込まないと来月からの契約はできない」と。仕方なく「時間がないので、ネットバンクでいいか」と聞くと「わからない」という。 あまりに狂っている。予め述べておくが、このケースではよくある「不快な思いをさせてすみません」ということは回答にならない。およそ一般的な企業が行う契約において必要十分な行為がなされていれば、不快な思いが若干あってもかまわない。 今回のケースはそういう問題ではない。 これ、ちょっとありえないくらい、いい加減な対応だった。

数日前、ひょんなことから、わたしやわたしの家族にまったく義務のないことを執拗に求めてくる人物が現れた。 電話で話したが、まったく話が通じない。 こういう話の通じない相手には、まずきちんと意思表示して、止まない場合は即、法に従った対応を取る。 話が通じないということは、つまり法律の出番だ。 とりあえず、これ以上わたしたちに義務のない行為を求めないようにと内容証明郵便を送った。 続けるなら、証拠を積み重ね損害を算定して請求する。 上のような便利なサービスがあって、郵便局に行かなくても送ることができる。